「続 まがうとき」  「あーーーあ、全然進まねぇーよ!」  夕暮れ迫る土曜日の渋谷道玄坂、私は渋滞の中にいた。  私はふてくされてハンドルにもたれかかって、坂から見える渋谷10 9の三叉路の人混みを見ていた。  (ちょっと、色気をだしすぎたか…) と、今更ながら自分の行動に後悔した。  今日は天気が良かったので、愛車で都内をうろつく事にして家を出発 した。  …別に目的はない。ただ、愛車を運転してうろうろしていればよかっ た…  山の手通りから国道246号線に入り、そのまま素直に青山通りに抜 ければよかったのに、何の気まぐれか、道玄坂に入り込んだために、渋 滞にはまってしまっている。  ちょっと進んでは止まり、またちょっと進んでは止まる交通の流れに、 私はいささかうんざりしていた。  …そうして、5分程した頃であろうか、私の車はとうとう渋谷109 の三叉路の真ん中まで進んだ時、信号が変わり私は車ごと歩行者の波の 中に孤立する事になった。  窓越しから見る歩行者の様子は、私の車を全然気にしていないかのよ うに仲良く手をつないで話しながら歩いてるアベック、私の車を迷惑そ うに見て、中には私を睨みつけていく若者…冷静なって眺めてるいると、 人間さまざまな表情もあるものだ…と、面白くなってくる。  やがて、人の波も徐々に納まり視界が開けてくると、私の前にいた車 は私が人の波に襲われる前の位置から全然動いていなかった。  私は、ゆっくりと前の車との間隔を詰めて行った。  そして、なんとか三叉路を脱出したときである…  何者かが助手席の窓をコンコンと叩いた。  見るとショート・ヘアの女が、微笑みかけながら私に手を振っていた。  (あーー?誰だぁ)  私は、そう考えながら、数少ない女性の知り合いの記憶を辿ったが、 この女性に見覚えがなかった。  私が怪訝そうな顔をしていると、女は”窓を開けて!”と言う様な仕 草をした。  私は、運転席側から助手席の窓を操作して開け、そして「人違いじゃ ありませんか?」と言おうとした瞬間、女は助手席のドア・ロックを外 し、助手席に乗り込んできた。  私は驚いて、言おうとしていた言葉を飲み込んだ。  驚きの余り、目を見開いて口をパクパクさせている私に、乗り込んで きた女は進行方向を指さし私に”前を見ろ”と促した。  私が前を見ると同時に、後ろに付いた車から激しいクラクションが鳴 らされた。  私は、それに驚いて慌てて車を発進させた。  そしてそのまま、渋谷ハチ公交差点を抜け、JRのガードをくぐり、 宮益坂下の交差点で止まった。  その時になって私は初めて言葉を発した。  「あのー、なにか人違いしていません?」  私の言葉に女はキョトンとしていたが、目を細めて微笑むと、  「あら、別に人違いではないわよ…だって、誰の車でもよかったんだ から…」 と、平然と答えた。  「え゛?」  驚いて、口を開けている私に、女は声を出して笑った。  「見たところ、別に人と待ち合わせしていないのでしょ?どうせ暇だ から車で都内をうろうろしているのでしょ?」  「う゛…」  女の矢継ぎ早の質問に、図星を刺され、私は返す言葉もなかった。  「ならいいじゃない、どうせ暇なら私を乗せても…美人を隣に乗せて いると箔が付くわよ!」  と言って、女は笑った。そして、私が何か言おうとすると、  「ほら!信号が変わった!!出発出発!!!」  女の先手先手の口撃に私はとうとう、「降りてくれ!」と言い出す事 なく車を発進させた。  その頃になって日が沈んだらしく、ようやく辺りが薄暗くなってきた…  次の信号待ちで女を降ろそうとしていたが、なぜか信号はなかなか赤 にならず、車は宮益坂を登り青山通りに入り、青山学院の前もそのまま 通過し、表参道に差し掛かろうとしていた。  最初私は、女がいつかの時の彼女かと思っていたが、どうやらそうで はないらしい…なぜなら、愛車は宮益坂を登る際、ターボの加給器圧計 の針が一瞬最高になるほどアクセルを踏み込まないと加速が付かなかっ た…と言う事は、女は別人であると言う事である。  私の車は、なぜか若い女性が助手席に座ったり、車中で他の車を褒め たりすると途端に調子が悪くなるのである。  …そして、それは数年前、この車の前のオーナーの霊がこの車に宿っ たからだという事を夏の海浜公園からの帰り道で知った…  「で、どこまで?」(えーーい、どうにでもなりやがれ!)  私は半ばやけになって、女に問いかけた。  「はい?」  突然の私の言葉に女はちょっと驚いて私の方を向いた。  「どこまで、行けばいいのでしょうか?」  わたしの半分迷惑そうに言った言葉を、女は全然気にしていない風で、 前を向いて顎に手を当て、ちょっと考える仕草をして  「そうねぇ…青山墓地なんてのはどうかしら…?」  と、微笑んで私を見た。  そんな女の言葉に、今度は私が驚いて女の顔を見た。  私は、よくテレビで見る幽霊を乗せたタクシーの話しを思い出した。  「あ、青山墓地ぃ?ご冗談でしょ?」(いやだなぁ…、この手の怪談 はよく聞くしなぁ…)  驚いて聞き返す私の言葉に女はいたずらっぽく笑って見せ、  「そうよ?恐い?」  と、女は意味有りげな返事をして微笑んだが、私には女がニタリと笑っ たかの様に見えた。  「ハハハ…残念ながら、青山墓地には行った事がなくて…谷中墓地なら 知っているけど…」(やっぱり、幽霊さんかなぁ??)  と、頭を掻きながら切り替えした。しかし、私の背中はうっすらと冷 や汗をかき始めていた…  すると女は、  「そう…わたし別に谷中でもいいわよ!」  と、あっさり私の言葉を笑ってそのまま受けとめた。  私は、恐くなって、  「はーーぁ、やっぱり、この手の人ですかぁ?」  と無意識の内に言って私は、幽霊がやる手の格好をした。  「うーーん、ちょっと違うわねぇ…たしかによく似ていますけど…」  と、謎に満ちた笑い方をしたかと思うと、突然、  「あっははは…なんてねぇ…冗談に決まってるでしょ!第一、幽霊 が自らドアを開けて乗り込んだりするものですか!!…それに、出る時 間帯が早いわ!!!」  女は、私の肩を気安く叩きながらよく声の通った声で笑った。そして、 真顔で私を睨むように見た…  「やーーねぇ、マジで信じた?」  と、私の顔を覗きこんだ。  「は、ははは…」(よかった…)  私は、照れ笑いする一方、内心ほっとした。それだけ、女の演技が巧 かったのである。そして全身から力が抜ける感じがした…そして、少し 怒りを覚えた。  さっきまで気が動転していたが、この時になって、ようやく落ちつき を取り戻しようやく女の顔をゆっくり見る事が出来た。  こうして見ると、女はかなりの美人であった。  私は、女の顔に見とれている内に、さっきの怒りがどこかに行ってし まった。  途端に、車がガクンと前のめりになった。私は驚いて声を出しそうに なったが、  「丁度今の時間は、”逢魔が時”ですから、前を見て気をつけて運転 しましょうね!」 と、女は平然と私に注意を促した。  「”まがうとき”…かぁ、今の時間帯は人間の目が夕方の暗さに目が 馴れなくて事故が多いんだよなぁ…」  と、赤信号で停車した拍子に、ハンドルにもたれ掛かりながら言った。  「(それから、魔物がいたずらするときもあるのよ…)」  と、私の耳元で女性の囁き声がした…それは、隣に座っている彼女と は別の声であった…  私は、驚いて周囲に目配せしたが、隣の女以外には近くに人の姿は無 かった…  そして、私はこの言葉である事を思いだし、  「”まがうとき”なんて言葉をよく知っていますね…正確には”逢魔 が時”と言って、魔物と人間が出会う時間の事をさすんですよね」 と、言った。  その言葉を聞いて、女は一瞬ギクリとした様な表情をした…しかし、 すぐに笑顔になると、  「…えっ?でもそんな事を言うところを見ると、以前に乗せた事が…」  と、言葉を途中で切って、車内をぐるりと見渡すと…私が何も言わな いのに、納得した表情をして  「なるほど…あったみたいね…」 と、目を細めて微笑んだ。  「はぁ…判ります?」  私がおどおどして訪ねると、  「そう…なんとなく…ね!」 と、右手の人差し指を立てて自分の目の前に持ってきて、ニッコリ笑っ て答えた。  「れ、霊感強いんですか?」  私がびくびくして質問すると、女はちょっと考え込んで、  「…そうね…わたしは強い方かも知れないわね」  と深刻そうに、それでいて私がびくびくしているのを楽しんでいるよ うな目をして私を見つめた。  …やがて、車が元赤坂にさしかかる頃…  「では、本当はどこに行きましょうか?」  と、問いかける私に対して、女は何か吹っ切れた顔をして、  「本当は、もう少しドライブしてもらいたかったけど、気が変わった わ、新宿駅の西口のロータリーに行ってくれません?」  と女が言った。  「はい…」  私は、ニッコリと微笑んで返事をした。  赤坂御苑の手前の交差点を右に曲がり、信濃町に向かった。  道々女と話しをしていたが、もっぱら、女の彼氏に対する愚痴が中心 で、私は聞き役に徹していた…  新宿駅西口の地下のロータリーの一角に車を停車させ、女を降ろした。  「どうも、ありがとう、楽しかったわ!」  と、女はドア越しに微笑んだ。  「そうそう…その車は貴方にとって良い車よ。いつまでも大事にする 事ね」  と言って、手を振って2,3歩後ろに下がってくるりと踵を返すと、 人混みの中に消えて行った…  「何なんだ…」 と、私は呆気にとられて見えるはずのない彼女の後ろ姿を目で追ってい た。  暫くして、一息つくと、  「さて…帰りますか…」  私は車に話しかけると、ハザード・ランプのスイッチを切り、ウイン カーを下げた。  周囲に注意を払いながら静かに車を発進させた。  新宿中央公園を横目に見て、国道20号線に向かう路上で、  「それにしても、本当に綺麗な人だったなぁ…」  と独り呟いた…すると、  「あーーら、違うわよ!あの人は、もののけよ!…もっとも最初は気 がつかなかったけど…あのまま、一緒にドライブしてたら、途中で事故 を起こしていたでしょうね…もっともわたしがそうさせないけど…」  と、言う半分ふてくされたような声が私の耳元に空耳のように聞こえ た。  それと同時に、珍しくバックファイアが起こった。 藤次郎正秀